今日は高島平団地に行ってきました。
なぜ団地へ?って
団地の現在の姿は、現在のマンション群の未来を映し出す鏡のような
存在気がするからです。
ちなみに多数の団地を世に送り出した公団は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
〜元々は、1955年に「日本住宅公団」としてスタートした。当時は高度経済成長期で、都市への人口流入が進み、住宅が不足していた。そこで、都市近郊で中堅所得者に良質な住宅を供給する目的で公団が設立され、1960年代の高度成長期には東京や大阪近郊でほぼ画一化された多数の団地(大規模ニュータウン、分譲及び賃貸住宅)が建設された。1970年代には都市再開発事業も手がけるようになった。
1981年、宅地開発公団と統合し「住宅・都市整備公団」に組織替えを行った。しかし、経済が安定期に入ったことで、次第に住宅の需要が以前より少なくなってきた。更に1996年以降、分譲住宅に大量の売れ残りを抱えていることがマスコミで報道され、住宅の建設は民間に任せるべきとの世論が高まってきたことなどにより、1999年、住宅供給より都市整備に重点を置く「都市基盤整備公団」に組織替えをした(分譲住宅の供給は停止)。
高度成長期に建設された公団住宅は現在、老朽化、建替えの時期を迎えており、エレベータ設備がないものも多いことから多くの課題を抱えている。ここは、昭和44年に竣工。高島平2丁目団地には賃貸住宅が7741戸,高島平3丁目団地には分譲住宅が2429戸あり、総戸数は10,170戸となる都内屈指の巨大団地である〜
ちなみにここは、一時期自殺が多発し、廊下などに7億円あまりをかけて鉄柵がつけられたことでも有名。規則正しく並んだ14階建ての建物。この建物から一時間あまりかけて都心に通勤し、2DKで二人の子供を育て、団地の行事に参加し、同じような生活を送る人々。
多分自分自身と同じ世代の子供たちが一斉に成長し、巣立っていった街。
懐かしいような、それでいて怖いような・・・。
団地がもつ独特の雰囲気をたっぷり味わって帰ってきました。
多摩ニュータウンの問題が良く語られていますが、街はやはり多くの世代が住み、入れ替わっていくのが、活性化のポイントになる。同じ世代が一斉に入居したかつての団地は、一部を除き、街としての機能不全に陥っている。
最近の大規模開発では、過去の事例を踏まえ
人が入れ替わるような賃貸住宅を併設したり、一戸建てを併設したりと様々な工夫がなされてきている。
住宅を選ぶ際には、「今」だけでなく「40年後の街」としてどうかというところまで
想像力を働かせて街を選びたいもの。
ちなみに高島平団地は、都心に最も近い団地といわれているだけあって
話題の多摩ニュータウンのようなことにはなっていませんでした。
子供たちが走り回り、若いお母さんに、学生、おじいさん・おばあさんと多世代が見受けられました。都心から比較的近い立地と、賃貸併用であったことがポイントになっているのかもしれません。
ところで団地サイトって、たくさんあるんですね。
哀愁感じます・・・。家は、人の愛憎渦巻く場所。古い団地って、ちょっと怖い。
ある意味、廃墟巡りに近いものを感じるのは私だけでしょうか。。。。
http://danchi100k.com/
http://codan.boy.jp/
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